宋書倭国伝

百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓は日本の属国だった?

興死弟武立自稱使持節都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大將軍倭國王

■ 興が死んで弟の武が立った。自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称した。

順帝昇明二年遣使上表曰封國偏遠作藩于外自昔祖禰躬甲冑跋渉山川不遑寧處東征毛人五十五國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國王道融泰廓土遐畿累葉朝宗不愆于歳臣雖
下愚忝胤先緒驅率所統歸崇天極道遙百濟裝治船舫而句驪無道圖欲見呑掠抄邊隷虔劉不已毎致稽滯以失良風雖曰進路或通或不臣亡考濟實忿寇讐壅塞天路控弦百萬義聲感激方欲大擧奄喪父兄使垂成之功不獲一簣居在諒闇不動兵甲是以偃息未捷至今欲練甲治兵申父兄之志義士虎賁文武效功白刃交前亦所不顧若以帝コ覆載摧此彊敵克靖方難無替前功竊自假開府儀同三司其餘咸假授以勸忠節詔除武使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事安東大將軍倭王

■ 順帝の昇明2年に使者を派遣して表を奉って「頂いた国は都から遠く離れた僻地にあります。昔から先祖が自ら甲冑を身にまとい山川を跋渉し心安らかにするゆとりもありませんでした。東は毛人55国を征伐し、西は衆夷66国を服従させ、北の海を渡り95国を平定しました。王道は十分に行き渡り、領土を広げ天子の直轄地を遠ざけ、代々拝謁して歳毎に道に外れることはしませんでした。臣はとても愚かではありますが、かたじけなくも祖先の事業を引継ぎ、統治するところを駆り立て率い、天空の極みにまで行き着こうと道ははるか百済を経て船をととのえました。それなのに高句麗は無道であり、図って滅ぼそうとし辺境の民を奪い取ります。奪い殺すことを止めません。いつも滞るので良風を失い、路を進むにしても通れたり通れなかったりします。臣の亡き父の済は攻撃をしてくる敵が天路を押し込めてふさぐことを本当に怒りました。弓兵百万が義声に感激しまさに大挙しようとしましたが、にわかに父兄を失い、 完成の功を立てるのに一杯の土を得ることが出来ませんでした。喪に服する部屋にいて兵士を動かせず、それで寝転んで休み未だ勝っていません。今になって武具を鍛え兵を調整し父兄の志を述べたいと思います。義士・勇士・文武とも全力を出し白刃が目前に交わるとも顧みない所存です。もし皇帝の威徳で覆ってこの強敵を砕き、よく国難を静められれば、前人の功績を変えることはないでしょう。ひそかに自ら開府儀同三司を借りて、その他にはみな仮に授けて忠節を勤めます」と言った。詔をして武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王に除した。