日本併合前の朝鮮事情


米人類学者Cavalii−Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去において大きなGenetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表す。(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution. 1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)韓国では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が足りず近親相姦が繰り返されてきた。遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が大多数見つかっている。昔の朝鮮では 父親の権利が絶対だそうです。女は女房でも 娘でも奴隷扱いだった。大韓帝国の時代まであった風習だが、日韓併合後に直ちに【試し腹】が禁止にされた。朝鮮半島で行われていたもので、父親が結婚前の自分の娘に対し、妊娠の可・否を調べる為に性行為をする事を云う。「女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない。故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを証明するために、「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる。これを「試し腹」と言う。産まれてくる子供は、当然夫の血を引いていないため、妻と同じ奴隷的な身分しかなく、結婚はおろか大人になるまで成長する者も稀だったと言われています。自分の娘を血縁の近い男(兄や叔父)に妊娠させて、妊娠できる女と証明させて嫁がせる儒教思想が暴走した習慣だ。
朝鮮の奴隷制度は、物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象だった。 かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても 犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具 にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、 ひどい場合は打ち殺されることもあった。外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、 売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、 韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている 年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された 不幸な運命の主人公であった。
李氏朝鮮時代の身分制度は、高麗時代のものを継承した。身分は、大きく「良民」と「賤民」に分かれる。「良民」とは、自由民であり、納税、国役の義務を負い、さらに「両班(文班、武班)」、「中人(下級役人、技術官など)」、「常民(農民、商人、職人)」に分けられた。「賤民」は「奴隷―奴婢」と「白丁(ペクチョン)(動物の屠殺に従事する者)」、「才人(広大ともいう)(芸人)」、「官妓(役所に所属する酌婦)」、「牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)」、「砲手(猟師)」、「水尺(スチョク)(狩猟民)」、「駅卒(駅の使用人)」、「巫女」、「僧侶」など多岐にわたっていた。「奴婢」は「公奴婢―国家に所属するもの」と「私奴婢―個人に所属するもの」に分けられていた。さらに奴婢は「公奴婢、」「私奴婢」とも「入役奴婢」と「納貢奴婢」とがあった。「入役奴婢」は、国の労役や主人の雑役に従事しなければならないが、「納貢奴婢」は国や主人から独立の生計を営みながら一定の身貢をする義務があった。奴婢」は売買、贈与、相続の対象となった。つまり、財物として扱われていた。父母の一方が奴婢の場合は、子も奴婢となった。「両班」が罪を犯し「奴婢」になったり、「奴婢」が軍功などで「中人」、「常民」になったりすることもあったが、極めてまれで身分間の移動はなかった。
「半島の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。」マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教「韓国事情」
李氏韓国の残酷な死刑や拷問に対して「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、
人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が半島を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」 スウェーデン人 アーソン・グレブスト「悲劇の韓国」
「韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。」アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ
1871 年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの韓国人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。しかし、そんなときでさえ、半島国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。」フランス人宣教師 シャルル・ダレ(韓国事情・平凡社東洋文庫)