「南京大虐殺」を煽る嘘・捏造サイト

1998年11月2日、「南京を考える」シンポジウムが開催され、南京大虐殺の虚構が明らかにされた。
 当日に放映すべく収められたビデオの中から、丸山進氏(84歳)の証言をここに紹介したい。引用元は、「明日への選択」 (1998年12月号)である。
 丸山氏は、満州鉄道の上海事務所に所属、後に日本軍の南京特務機関員として南京自治政府との交渉役となった。南京での死体埋葬の指揮にもあたられた方である。
 (中国側は陥落後六週間に亙って大虐殺が行われたと主張するが)陥落後二週間後に南京に着いたが、市内はかなり落ち着いていた。一月の元日には胡楼広場で南京市自治委員会の結成祝賀会があり、その後に車で市内を見て回った。城内はほとんど回ったが、死体はほとんど見ていない。隈無く見たが、私が実際に見たのは邑江門のあたりで少し見たくらいで、死体がごろごろしているという状態ではなかった。
 中国人とは、仕事柄しょっちゅう会って話をしていたが、日本軍が中国人を虐殺したとか暴行を働いたとかいう話しはなかった。「かなりの人が戦災を受けている」と私に教えた南京市自治委員会の幹部もいたが、それは虐殺されたということでなく、陥落前に日本軍が軍事施設を爆撃し、その巻き添えになつた人が相当いるという意味だったようだ。
 城内には、外国人によって作られた国際安全区があり、私が南京に行った当時、市民は皆安全区の中におり、外にはほとんどいなかった。だから、区外で虐殺や暴行があったとすれば理屈に合わない。安全区の中といえば、私自身、安全区に住んでいたが、死体について言えばほとんど見ていない。最初のうちは、安全区のなかに敗残兵が沢山入っており、衛兵が要所要所に立っており、憲兵隊も巡回していた。だから、一般の兵隊は無断で安全区には入れない(我々は特務機関の腕章を付けているため安全区に入れたが)。
 住民は、安全区の中の大官の家とか外国人の家などに集まっているが、とても二十万という人を収容できない。それで国際委員会が金陵女子大とかその他の空き地にテントを立ててやり、そこで彼らはキャンプ生活をしていた。しかし、ずいふん落ち着いていたと思う。一月はじめには道端に屋台や露店が出、そこで物を買ったりした。住民が特に日本兵を恐れるような風もなかった。(中国側の三十万虐殺説の根拠には、紅卍字会の埋葬した四万余と崇善堂の十一万余を足した十五万五千三百余の死体埋葬数が証拠としてあげられている。しかし、その数の虚構についても丸山氏は証言している。激戦の南京攻防戦では日中双方に多数の戦死者が出たが、日本軍は自軍の遺体は残さず回収し、荼毘に付した。中国人の遺体が残されていたが、これは大半は戦闘による戦死者である。)
 昭和十三年一月中旬頃、佐方特務機関長が、死体が腐って環境衛生上よくないため、片付けるよう発案された。この何万という死体を処理する能力は日本軍にしかなかったが、その時は警備部隊の一個師団しかなく、余力がない。そこで、中国人を使うことになり、自治委員会に相談し、紅卍字会という一種の慈善団体に頼んだ。
 作業の進み具合は紅卍字会が毎日日報を作成して、自治委員会に報告した。二月一日頃から作業を始め、二月末までに約五千体を埋葬した(一日の処理数は多くて二百体、平均して百八十体位が紅卍字会の能力だった)。この調子では捗らないので、作業は昼夜なしでやらせ、成績が上がれば、一体当たり三十銭の割り増しを出すことにした。その後、三月十五日までに三万一千七百九十一体を埋葬したという報告がきたが、この数字には明らかに水増しがある。二月末で五千体で、三月十五日でその数字であれば、十五日間で二万六千余を埋葬したことになり、一日あたり千七百位処理したことになる。しかし、私の知る限り、一日当たり最大で六百から八百が限度なので、かなりの水増しがある。当時からこのことは気付いていたが、それを指摘すると埋葬作業そのものが駄目になるのでそのまま認めようということになった。金もその数字に基づいて、一万一千円が自治委員会を通じて紅卍字会に支払われた。紅卍字会が東京裁判に証拠として提出した記録も明らかに作り替えられている。例えば、十二月二十二日に七百七十体余、十二月二十八日には、六千四百六十八体を埋葬とあるが、そんな事はあり得ない。この時期は人夫五十人雇うのすら難しく、とてもそんな作業はできない。しかも十二月二十八日の分は埋葬場所も空欄になっており完全に嘘である。私自身三月十五日の段階で現場を見て回ったがアンペラを被せたままで埋葬していない死体がかなり残っていた。ところが日報ではそれが既に埋葬されたことになっていた。こちらが急がせていたので、それすらも日報にいれていた上、東京裁判の時に更に改竄されたということだろう。 (当時、ほとんどの人が知らなかつた崇善堂の埋葬数十一万について)
崇善堂というのは小さな慈善団体で我々が埋葬作業をしていた当時はほとんど活動していない。活動を始めたのはずっと後で六月頃と思うが、それも施粥などで独自に埋葬する力はなかった。本多勝一が「南京への道」で崇善堂が三人一組で埋葬作業をしたと言っているが、十一万体の埋葬には延べ九万人、三人一組だと三万組が必要。崇善堂にはそんな力があるとは思えない。 経費から言っても十一万体の埋葬には諸経費含めて四万五千円ほどかかる。これは自治委員会の一ヶ月の全行政費用に相当し、小さな一慈善団体の払える経費ではない。
(東京裁判で架空の数字が提出されたことについて)
戦後、戦争犯罪を追及する段になり、中国側はおおよそ上海付近での戦死者を二十万、南京付近を十万とみて、併せて「三十万」という数字をまず考えたのではないか。しかし、戦時国際法上、戦闘で死んだものは不法虐殺ではないから、東京裁判に持ち出せる数はほんのわずかになる。ところが、既に三十万という数を出してしまっているため、 国民政府から南京特別市政府に対してどうしても「三十万人」の証拠を作れという要請がいったのではないか。
いずれにしても紅卍字会の埋葬は戦闘による戦死者のものである上、水増しされており、崇善堂の方はまるまる否定してよい。 国際委員のベーツが紅卍字会の記録を元に、四万埋葬の内、約三割、一万二千は市民だったとしているが、埋葬記録をもとに城内にあった遺体を数えてみても二千八百体くらいにしかならない。しかもその内訳では女性七三体、子供二九体。城内から持ち出した分とされているもの(七月から十月の埋葬とされており、嘘か南京問題とは無関係のもの)を加えても女性百三体、子供四六体。とても一万二千人の市民が虐殺されたというようなことからくる数字ではない。中国人からの伝聞をそのまま報告書に書いたのだろう。
 南京大虐殺は完全な嘘である。