韓国史歪曲百態(上) - アジア7ヶ国の場合

韓国教育開発院が世界14ヶ国の教科書を精密分析した結果、韓国の歴史についての歪曲及び誤った掲載の程度が深刻であることが分かった。調査に含まれていない国々も似たものだろうと思われる。教育開発院が調べた国家をアジアとヨーロッパに分けて我が国の歴史歪曲事例をシリーズで挙げる。

■中国 小・中学「中国歴史」「世界歴史」教科書のすべてが韓国の最初の古代国家である古朝鮮は全く言及しないまま、あたかも最初の国家が高句麗であるように叙述している。上海版などの「歴史」教科書は共通して「勃海は独立した国家ではなく唐王朝内の一つの地方政権」と規定した。高級中学校「世界近代現代史」、上海版「歴史」教科書は3.1運動の勃発要因をウィルソンの民族自決主義ではなく「高宗の毒殺説」が直接的な契機になったように歪曲した。

朝鮮戦争についての評価も、4つの出版社の「中国歴史」教科書が概して「抗美援朝戦争は勝利をおさめた」と主観的に書いた。「中国歴史」第4巻 初級中学課本の場合、朝鮮戦争が北侵により発生したように叙述した。

「世界歴史」第1巻 初級中学課本(98年版)では「朝鮮人民は昔から朝鮮半島に住んでいた。紀元前後の時期にわたり朝鮮半島北部地域を統治したのは高句麗奴隷制国家だ(56頁)」と叙述、中国東北地方の広大な領土を占めた高句麗に言及しつつ、朝鮮半島の中の小さな国であるように歪曲した。

高句麗を朝鮮半島北部地域の国家に縮小させた点は、上海版 小・中学「歴史」、四川版 小・中学「世界歴史」教科書も同じだ。「世界歴史」ではまた、「多くの学者らは朝鮮語を研究して中国語と結合させながら、28個の子母音を制定した。(59頁)」と記述、世宗大王の科学的・独創的なハングル創製を歪曲した。

■タイ 高校3年生1学期社会教科書(98年版)では「日本は仏教・書道・箸の使用法・漢字などの中国の文化を韓国を経由して受け入れた。(131頁)」と記述した。韓国はただ中国の文化を日本に伝播する橋梁の役割だけをしたという日本の植民史観の影響を見せてくれる部分だ。また、軍部とは関係ない李承晩大統領を「8・15解放以後、韓国は軍部指導者を最高統治者にする体制を採択した(147頁)」と記録した。

教育部学術課が編集して出した中学2年生用社会科教材では「北緯38度線を境界に韓半島が韓国と北朝鮮の2ヶ国に分離された事件は1953年7月27日に起きた」といった内容の中の38度線は、45年8月15日直後であり、53年7月27日は南北停戦協定が締結された日を誤って叙述したものである。

■フィリピン アジアの歴史(98年版)では日本の植民史観である任那日本府説をそのまま引用、「新羅の金冠で見られる曲線形の宝石は日本帝国象徴の痕跡だった(60頁)」「大和政権の天皇は征服者として韓国に来て、日本の統治は668年韓半島が権力組織を確立するまで持続した(65頁)」と記述している。

特に日本の植民地支配を合理化する意図をそっくりそのまま載せもした。「日本は自由な新しい秩序を樹立することによって、上に言及した国々に平和と安全をもたらそうとした。(276頁)」「進歩とアジア大陸及び全世界に対する強力な指導力の新たな段階のための最初の歩みであるだけだ(281頁)」などがその例だ。甚だしきは「李鴻章は1885年に伊藤博文との協定以後、韓国を近代化させるために努力した(302頁)」というなどの内容を通じて朝鮮が中国の植民地だったように説明した。

単一民族である我が国について「北朝鮮の住民たちはモンゴル血統であるがゆえに身長が大きくて健康で血色が蒼白である。一方、韓国住民たちは混血であり、身長が低く血色が悪くない」というとんでもない内容もある。北朝鮮はモンゴル人種、韓国は南方系統として分類したのである。

■インドネシア 中学校歴史教科書(95年版)では「1894年日本は中国を侵攻した。中国は日本に容易に降参したが、その結果中国は台湾とコリアを日本側に譲渡せざるを得なかった」と韓国を中国の属国として記録した。高校歴史1年生の場合、「唐 (618〜907年)はまた韓国・日本を支配した」という内容も入っている。

■ロシア 東海は一様に日本海と記録している。我が国を極東の新興工業国という程度で断片的な記述にとどまった。現代史の部分では「安い労働力は国内・国際舞台で韓国企業経営の成功の重要な前提条件だった。

全世界で最も長い労働時間、集会結社及び団体協約そしてストライキに対する労働者らの権利を認めない政府の苛酷な反労働政策などがその理由であった」というなど否定的に書いた。

■マレーシア 中学3年生地理84頁ではソウルを東海側に偏って表記している。また「日本・中国・韓国・タイ・インドネシア・フィリピンなど火山活動が起きる地域では地熱資源が生産されている」と火山地域に分類した。

■インド 韓国中心で書かれた内容が少ない。「世界歴史の眺望」(オックスフォード大学出版・95年版)は1875年の雲揚号事件と関連、「韓国は永らく中国の属国だった。韓国は中国に援助を要請した」と記録した。閔妃殺害事件と関連、「王妃を除去して入獄させた。」と歪曲した。

韓国史歪曲百態(下) - ヨーロッパ・アメリカ大陸

ヨーロッパとアメリカ大陸などでは我が国の歴史をほとんど扱っていない。

扱ったとしても分量はきわめて微小だ。問題は少ない記述にもかかわらず、日本の教科書の影響で「植民史観」や過去の統計資料を引用、誤って叙述されているということだ。甚だしきは単一民族を多人種国家として分類し、最近死亡した鄭周永(チョン・ジュヨン)前現代名誉会長を94年に死亡したものとして叙述している。

イギリスをはじめ、ヨーロッパ6ヶ国とカナダ等7ヶ国の教科書に出てくる我々の歴史と関連した内容を要約する。

■オーストリア 統計の誤記と共に否定的な面が浮上した。地理教科書に出てくる4,000個以上の島は3,600個余りの島、「夏には南風と北東風が吹き」は南西季節風または南東季節風に、冬には「冷風が半島に吹く」は冷たい北西季節風に直さなければならない。

韓国の工業発展は高い労働生産性と長い労働時間、低い賃金の助けを受けたと説明した。1週間で6日間に50〜60時間を労働し、中小企業や家族企業では約70時間労働する。大企業での労働者の賃金は時間当り2.6ドルだ。女性の賃金はこれの半分にもならないと付け加えた。

■カナダ 日本の植民史観を土台に記述している。「東南アジア(95年版)」の269〜282頁では「数百年間中国の属国」と歪曲した。また「日本は韓国の地で大きな発展を成し遂げた。鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」と叙述、韓国が植民地化を通じて近代化されたという「植民地近代化論」を繰り広げている。

96年版10年生用教科書の場合、「韓国は国連平和維持軍により独立を取り戻した。国連交渉で終戦になったが…(397頁)」と記録した。朝鮮戦争の間に主権を失ったことがないだけでなく、「終戦」は休戦や停戦に変えなければならない。

■イギリス 近現代社中心の切れ端の情報レベルだ。韓国は経済成長国より冷戦時代の戦争の当事国としてより多く扱っている。「労働・雇用・発展(94年版)」では東海を日本海に(147頁)、「鄭周永(チョン・ジュヨン)氏は既に死亡している。弟の鄭世永(チョン・セヨン)氏が現代の新しい会長だ。(原文152頁)」と誤って記録した。

■フランス 歴史領域では日本の韓国侵略、分断、朝鮮戦争程度だけ簡単に紹介している。93年版 高校2年生 歴史教科書で「日本は1931年から韓国、台湾、満州を…合併した(56頁)」という内容は「日本は1895年日清戦争直後に中国から台湾を割譲されて、1910年には韓国を強制的に占領して、満州は1931年武力で占領した」という内容の誤った記録だ。

89年版 地理教材では北朝鮮住民の頻繁な亡命と関連、「韓国と香港は最近に数百万の政治亡命者の恩恵を受けた(43頁)」と事実関係を歪曲した。

■ドイツ 韓国関連は世界史と連係して若干扱っている。特に過去の軍事政権によりなされた非民主的軍事独裁の認識を土台に敷いている。

「過去への旅行(94年版)」では「1905年からこの国(韓国)は日本の支配下にあった」(207頁)と記述した。1905年は日本に外交権を奪われた年だから、1910年に修正しなければならない。

「時間と人間(95年版)」の175頁の「国会は李承晩を国家元首に選出して大韓民国であることを公布した。3ヶ月後、北朝鮮は自国を朝鮮人民共和国と命名した」という内容の中の3ヶ月後は「1ヶ月にもならずに」、すなわち1948年9月9日に変えなければならない。

■スペイン 韓国関連内容は本一冊当たり平均1ページにもならない。だが、従属的性格を浮上させた傾向が強い。

エスパーニャ4巻では「韓国の人種は中国-モンゴル、文字は中国文字、宗教は仏教(116頁)」と歪曲した。人種・文字・宗教など全ての内容が事実と違う。また「長い歴史を通じて中国・ロシアと日本の支配を受けた」という内容は「何度も外侵を」に修正してこそ正しい。日本からの韓国の独立年度も1948年と誤って表記した。

■オランダ 朝鮮戦争だけを主に扱った。他の国家と同じく、朝鮮王朝を李氏王朝と表記した。

パク・ホンギ イ・スンニョ チョン・ヨンウ記者 hkpark@kdaily.com

■アメリカ国務省の韓国の歴史観。
国務省の各国のバックグランドノートより。
機械翻訳した後、原文になるべく忠実に修正したものです。
>韓国の歴史
韓国の伝説によれば、神王である檀君は、BC2333年に国家統一した。しかしAD1世紀には、朝鮮半島は新羅、高麗および百済の王国に分裂した。その後、新羅王国はAD668年に半島を統一。高麗(koryo)王朝(西洋の名前「朝鮮(Korea)」はそれに由来する)は、935年の新羅王国に継承される。李一族の朝鮮王国は、1392年に高麗に取って代わり、1910年に日本に併合される(annexed)まで存続する。

その歴史の大半は、朝鮮は侵入され、影響を及ぼされ、その周囲の大国との間には、幾度となく戦争があった。記録の残る中では、その2,000年間でおよそ900回の侵入を受けた。朝鮮は1231年から14世紀初頭まで、モンゴルの占領下にいた。また、繰り返して中国軍(政府と反乱軍)によって破壊された。日本の将軍、豊臣秀吉は1592年と1597年に大侵略軍を送り出した。

中国は周囲の大国の中で最も大きな影響力があり、また朝鮮人にとって最も受け入れやすい国だった。朝鮮王朝は、中国の「属国」(朝鮮は、実際には独立していたが、「兄」としての中国の理論的な役割を認めた)の一部だった。外国の侵略(そのために19世紀に「隠れた王国」の名前をもたらした)を防ぐために採られた、朝鮮の長い鎖国政策の唯一の例外が中国だった。

大きな西側勢力および日本が、強制的に開国するために軍艦を送った時に朝鮮の鎖国は最終的に終了した。それと同時に、北東アジアでは、日本、中国およびロシアの競争が武力衝突に結びついた。また、外国の介在は1910年に正式に朝鮮を併合して朝鮮支配を確立した。

日本の植民地時代は、東京政府の厳しい支配が特徴的である。そして韓国語とその文化を無情にも日本の文化に取って代えようとした。韓国レジスタンスは存在したが、特に1919年の独立運動は失敗した。そして、日本によって第二次世界大戦の終了まで堅く支配された。